2019/05/13 恒例の

多くの人で賑わう丹波白毫寺。
九尺藤で有名だがこの時期の人出は凄い。
映える!
という事で最近特に多くの方がやってくる。

複雑な気持ち。
多くの人に知られ見られる事の幸せ。
それとは逆に本来のお寺という場所で繰り広げられる喧騒、生み出される煩悩。

この場所ではなかったがある時、心無いカメラをぶら下げた輩が叫んだ。
お賽銭なんかあげてもいい写真は撮れませんよ!
そんな暇あったら写真撮ってください!

殴り倒したくなる。
煩悩が生まれる。
そして足が遠のく.....

ぼくにとってはお寺であっても街中であっても撮影地は聖地だ。
何故なら自分が撮る写真には必ず自分が写っているから。
写真を見返す時にその時の自分が甦る。
溌剌としてる姿。
醜い姿。
励まされ、打ちのめされる。

昔、西国三十三所の取材のお仕事をさせて頂いた。
心に染みる説教、それに対する前世の姿を多く見せて頂いた。
時間をかけて考える事の大切さを学んだ。

時は移る。
答えも移る。
しかしここで言う答えは「対処」
理念ははブレずに守っていきたい。

親から教えられた判断基準は「善悪」
ならぬことはならぬ。
自分はやらない。
自分はやる。

それに対する「損得」
余裕が無い時は目を瞑ってしまう。

「善悪」だけで実行していきていくことは今の僕にはできない。
それだけの強さはない。
が芯の所は忘れずに、行いが醜ければそれを恥、戒める事は忘れずにいたい。

190508-3




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